とてもお世話になった人が入院されたと聞き、相方と2人で車で5時間ほどかけてお見舞いに行った。
しかしコロナ禍のため院内に入りたくはないし、病院側からの見舞いの自粛を促す立て板が正面玄関内にあったことも踏まえ、あろうことか【病人】に外に併設されている喫煙所に赴いてもらうことになった。
続きを読む格差が広がりすぎて価値観の共有が出来なくなってきている。
ごく平穏な日常も人によっては、憎悪の根源となる。
何気ない生活の一部も贅沢に映る。
そのしあわせは誰かがどこからか見ているのです。
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非常に厳しい暑さの毎日ですが、お健やかにお過ごしのことと存じます。
先日は気温37度の酷暑の中、見舞いに訪れた先で私自身が体調を崩し周囲に迷惑をおかけしたばかりでなく、執筆活動にまで影響を及ぼしたことをお詫び申し上げます。
呆丈記をご覧のみなさま暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛くださいますようお祈り申し上げます。
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
いつも『ブログ』の記事を投稿する時に思い浮かぶイメージがある。
私の組み立てた文字がどんな人が目にして、どのように思うかを想像しながら組み立てる。
完成したそれは、まさに空き瓶に入れた手紙のような感じだ。
それをインターネットと言う名の『海』に流すのだ。
『記事』なんてご立派なものでは無い、誰もが漏らす不満であったり、独りごとだったり平凡な日常の切り抜きがほとんどだろう。
『しあわせ』は残念ながら、誰かに分けられるだけ無いのがくやしい。
今現在入荷は未定となっている。
逆にインターネットを漂っていて私が誰かが組み立てた文字の塊を拾う事もある。
文章からは感情が伝わってくる、頭の中にイメージが浮かんだり情景が見てとれたり
作者の世界に招待される。
しかし残念ながら物凄く上手に文章を組み立てる人は、長く続かない人が多いような気がする。
野球選手みたいに常に全力で執筆出来れば、プロの世界に行ってよい成績を出し続けているがそんな人は稀だろう。
私は今日もインターネットをさまよう、自分には無い才能を見るために。
先日、アウトドアがてら外でバーベキューをやったんだ。
何が『BBQ』だよ!このような表記に嫌悪感を抱くのは私だけでしょうか?
『肉焼いた』でいいんじゃないか?
それでね、外で肉焼いたんだけど、いつもの相方と相方の知り合いだかの『汚い夫婦』が来ていたんですよ。
もう『肉』はどうでもよかったんじゃないの?終始『汚い夫婦』が乳繰り合ってんの。
相方は汚い中年夫婦に嫉妬したのか、終始ヤキモキしていたようでした。
汚い嫁の方が知り合いだと言う若い娘に連絡して来ることになった。
もう閉めたいよドア、鉄の扉、アウトなドアはもういいよ。
汚い夫婦だけでやれよ。
そんなこと言ってる間にさっき汚い嫁が呼んだメンヘラ娘が来ました。
メンヘラ娘は私を見るなり感動して、『ラインでみんなに贈るのに写真撮らせてください』といいました。
送信後は色々なところから返信がきていたようだった。
私が覚えていなくても相手側から声をかけられる事は、いつものことなので気にはならなかった。(呆丈記の読者?かも知れない)
メンヘラのはしゃぎぶりに、焼肉やキャンプで訪れていた他のお客さんが私のことを有名人だと勝手に勘違いして写真や差し入れが続いた。
まるで人々を騙しているような不可抗力な罪悪感が襲う。
おかちめんこ似のメンヘラ娘は突如、大学生の彼氏からDVを受けている話をしだして、元々しらけていた雰囲気は一気に氷点下へと下がった。
今週のお題「寿司」
学生のころ『回転寿司』でアルバイトをしていました。
この当時はまだ、北海道の大きな街以外に回転寿司にチェーン店が無く、私の働いていた回転寿司屋も個人経営で支店なしの小さい小さい店でした。
経営者は当時二十代半ばのボンボンの息子で、親が経営のノウハウを身につけさせるために出資して開いた学習教材のようなものです。
当然ですがそんな息子は一回も就職したことが無い状態で経営者になりました。
一から全部やるのは無理なので、ある程度経営の安定している店を買収したところからのスタートとなりました。
新社長となったボン息子は社長室で『ダービースタリオン』ばかりやって店の様子を見に来る事はありませんでした。
そればかりか苦言を呈した年上の従業員をすべて解雇して、自分に従うイエスマンだけで揃えました。
こうして全従業員が25歳以下という新鮮な職場が誕生と引き換えに店の鮮度は地に堕ちてゆく事となるのです。
当時店長にはその店で一番古参でアルバイト歴2年の17歳の高校三年生が店長として就任しました。
板長は19歳の暴走族がなりました。
タッチパネルなんて当時はもちろん無く、ホールで卑猥な制服の女子高生が注文を取っておりました。
私はシャリ玉と言って、ご飯を入れると寿司の形にしてくれる機械から出てきた飯の上に、暴走族の切った魚を乗せてレーンに流す担当をしていました。
17歳店長は雰囲気づくりに法被を着て、それらしい形に飯を握り暴走族の切った魚を乗せる重要な役割でした。
衛生状態は最悪で便所に行っても手を洗わない、作り置きして何度も温めてすっぱくなった『カニ汁』、私の担当していたシャリ玉の中に出入りしている『ワラジ虫』、ソフトクリームの機械に群がる『アリ』さんと保健所もびっくりの内容。
客席には乾燥した米粒や壁にへばりついて水分の失われた寿司ネタが落ちていました。
揚げ物のフライヤーの中に堕ちた『蛾』がイカリングと一緒に墨汁のように真っ黒な油の中で泳いでいます。
若社長はアルバイトの女子高生に手を出して妊娠させたのを皮切りに、暴走族は検挙され、17歳の店長は売上金を持ち逃げ、私は幸運なことにシャリの中からワラジ虫が出てきて解雇となりました。
私がそれから回転寿司というものを食べたのは、実に25年も後のことです。
夢の中に三度ほど同じ店が出てきている。
商店街の裏の丘陵な小山を少し登った所にある、小さな『ホットドック屋』さんである。
最初は死んだ母親と買い物の最中だったため、気にはなっていたが記憶に留めておくに過ぎなかった。(明晰夢では無いため自由が利かない)
小さな三角屋根のログハウス風の店構えは、可愛らしく女性客をターゲットにしているようだった。アメリカの星条旗が幟にプリントされていて、和洋の融合のようなものが店の前に立っていた。
デッキには客席もありカフェのような雰囲気もあった。
最初の夢から数日後の二度目に商店街に訪れた際、行ってみたが残念ながら休業日だったらしく、星条旗の幟も立っておらず入口の扉には『closed』のポップな札が下がっていた。(ホットドック屋に行く夢だったが明晰夢では無かった)
それからしばらくの間、夢の中には『ホットドック屋』はおろか、商店街さえ出てはこなかった。
普通の自由の効かない訳のわからなく、記憶にも残らないような夢が続いた。
夢を見ない日の方が多かったような気がする。
ホットドック屋のことなんてすでに忘れてしまっていたある日の晩、私は再びこの商店街を訪れていた。
それは最初の夢から半年近くも経過していた。
意気揚揚と小高い丘を駆け上り、風になびく星条旗の幟をめざした。
まるで一枚の絵画を見ているようだ。白い雲がブルーハワイのソーダに溶けだした生クリームのように混ざり、淡いパステルカラーの青い空を創りだしている。
それと対照的に巨大なブロッコリーの上を歩いているような濃い緑の丘。
ホールケーキの上のチョコレートの家のような存在感で佇むログハウス。
しかし近づくにつれて募る不安と恐怖心・・・・・
どこから湧いて来るのかわからない場違いな『感情』は本能にブレーキを求めていた。
それからホットドック屋は現れてはいない。
今まで感じたことの無いような恐怖と不安は何だったのか?
ポップな店構えが放つ狂気の正体とは一体何だったのか?
夢・たかが夢か・・・・
今ここでこうして振り返り思い起こせることにとりあえずは感謝したい。