呆丈記

呆れたものがたり

幸福はだれかの起爆剤

 格差が広がりすぎて価値観の共有が出来なくなってきている。

ごく平穏な日常も人によっては、憎悪の根源となる。

何気ない生活の一部も贅沢に映る。

 

そのしあわせは誰かがどこからか見ているのです。

 

 

 残念ながら今のままの世の中では、今後も何の関係の無い人が犠牲になる事件がどんどん増えていくことは間違いないと思う。

 

 一つの事件をきっかけにして、同じような境遇、思想の元で『よし、今度は俺が!』という具合に一本の導火線に火がつけば、爆竹のように次々と連鎖的に事件が起きてしまう。

 

これはもはや宗教の思想のようなものに似ているような気がする。

 

 

短絡的に結婚できる奴は年収が高い⇒収入が多いと余裕のある生活と安心安泰⇒こどもを育てる余裕もある⇒こどもは勝ち組のしあわせの副産物⇒こども嫌い、憎い⇒勝ち組の大事なこどもの命を奪う事で自分の苦しみを味あわせたい?

 

若い女性⇒女性優遇時代?⇒容姿が良ければ人生楽勝(男性も含む)⇒中間層以上と結婚すれば一生食いっぱぐれない人生楽勝?

 

 

という何の根拠もないような思考が勝手なイメージによって創られたのではないかと思う。

年収が高くなるにつれて結婚している割合が高くなるのは紛れもない事実だが、婚姻関係にある夫婦がすべて子どもをもうけているかというと必ずしもそうではない。

 

 

いろいろな家庭を見てきた私から言わせれば、年収が高くなればそれにつれて生活の質も上がっていくので、結局はお金に詰まる家庭も多い。

(消耗品の質が贅沢になっていったりする。)

 

 

お金以外の問題も発生する。

 

旦那が愛人をつくる、こどもの不登校、学校で村八分にならない為の新作ゲームやブランド服の購入など。

偏見かもしれないが年収の高い家庭の亭主は家庭内で傲慢になりやすいような気がする。(あくまで個人的)

(俺のおかげ、俺の建てた家だ!、ここでは俺が神だ) ←作者の父親の発言(低所得者)

 

 

 

例えば、人生において最悪な状況が今後一生涯つづくと確定したとき、どんな人だって何するかわからないものですよ。