呆丈記

呆れたものがたり

できないことをがんばるな

  人類みな一切の苦無くしあわせになるのは無理な話である。寸法の合わない敷き物のように、どこかに合わせれば他にしわが寄る。誰かの自由の中にいる限り、しあわせはやっては来ない。反対に自分が自由になれば誰かに無理が生じる、自由としあわせを取り合う椅子取りゲームのようなもの。

 

しかし不自由の中で生きることはある程度必要なことでもある。不自由の中で忍耐を養い我慢が鍛えられる。負の感情もすべてちからに換えることができたとき更なる高みへと到達できるであろう。

 

 

『なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり』

 

米沢藩を立て直すために自ら節約を実践し手本を示した上杉鷹山だから説得力があるのである。上の者が自ら実践し手本を示せばあとに続くしかない。これはアメリカ元大統領も尊敬した日本を代表する偉人のことばである。

 

 

しかし現代においてブラック企業のノルマ必達のための指標とされることがある。

『やればできる、やらないからできない、できないのは頑張りが足りてないからだよ、頑張るのはあたりまえで、頑張って成果を出すのが仕事だよ』といいながら椅子にふんぞり返り具体的な指示や提案も出さない高給取りにみんながなりたくて仕事を頑張るから、この国はいつまでたってもよくならないのである。

 

 

今週のお題「#平成最後の夏」

今週のお題「#平成最後の夏」

 平成最後の夏が終わろうとしている。平成元年の平成最初の夏に平成のおわりに思い馳せていた自分にとって、あまりに早く訪れた平成のおわりに当初衝撃を受けた。

昭和が六十四年まで続いただけに、平成は四十年くらいまでではないか?と勝手に思っていたからだろう。

 

 この平成最後の夏に私は、昭和の時代の街並みが残る場所や、昭和に閉山した炭鉱跡めぐりなどをしている。

そしていつの日か、平成前後のバブル時代の名残や平成の再開発した街並みを再々開発前に平成めぐりの旅をしようと今から考えている。

 

 しかしその頃にはすでに高齢者となっているだろう。そして携帯電話もインターネットも無い時代の語り部とし後世に伝え最期をむかえる。

 

 

 

 あとは老害老人にならないように気をつける。【平成最後の夏の誓い】

鬱ルンです

 世間から逸脱して生きてきた弊害は、ある日突発的に やってくる。

ヒルトン×はてな「思い出に残った、ちょっと贅沢な家族旅行」キャンペーン

お題に参加できる思い出が何一つない。今まで家族で旅行に行った記憶が一度もない。

 

家族でキャンプに行ったり海水浴に行ったこともない。他の家族に混じり行った事はあるが、自分の家族だけでの行楽が一切無い。

思い出はいつもよその家族かおばあちゃんとの行楽のみ・・・・・

 

 

当時の私は、本来普通のこどもが経験するはずの行事は、予防接種のように毎回参加して思い出として残すようにしていた。これは大人になった時にはもう、決して取り返すことのできない大切なことなんだと思っていた。

鎖された煙突 - 呆丈記

 

 

我が家はおかしな家庭であったことはまちがいない。

おかしな家に生まれて、おかしな環境で育ち、おかしな大人になり、おかしなおっさんができあがった。

 

 

 

でもどうして今まで気が付かなかったのだろう・・・・・

それはよその家の【異常】がわが家の【常識】だったからに他ならない。

 

 

 

 

 

 

【平成】最後のお盆の夜

 軽トラックの荷台をかたずけていたら、どこからともなく楽しそうな団らんのこえが聞こえてくる。

古い市営住宅の網戸の内側にはしあわせが溢れていた。

食卓を囲む男女4~5人のこどもたち、手には水色、ピンクのプラスチックの茶碗と箸が握られている。

 

 

母親と思われる女性が大皿に山盛りのおかずを食卓の真ん中に置くと一斉に伸びる箸、とともにはじまる『いただきます!』

 

 

『肉取りすぎだ!』『とられた』だの大声が響く、思うようにおかずが箸でつかめない幼児が泣き出す。

見かねた姉が幼児の口に、おかずを入れると泣きやむ。

 

 

 

 ベランダの外には、父親の物と思われるツナギとヘルメットが干してある。

ころがっている昼間の土あそびのシャベルやバケツ、晴れの日でもいつも履いている小さな長靴、草しか入っていない虫かご・・・・

 

 

 

 平成30年8月16日  【平成】の最後のお盆にもまだ昭和はあった。

ぶっ飛ぶ勇気は垣根を壊す

 同類相求むがごとし、馬が合いこころ通じて意気投合。似通うものたちが集い馴れ合い親しむ。枠から外れひとりなやみ彷徨うもどこにも属せず今に至る。

 

 

 なぜ同じような種類の似通った人が自然とつるむのか?似通った体形、顔立ち、服装にいたるのか?似通った服装にはあこがれなどで元になった人物がいるのだろうか?

不思議でしょうがない。

 

 仲間を集い競技用自転車でツーリングは実にうらやましい。彼らは男女問わず皆、背が高く痩せて手足が長い。お揃いのウェアを着て尖ったヘルメット、虹色のサングラス実にかっこいい。もし私が混じって自転車に乗ったら、三角木馬に跨る肉団子が疾走し注目の的となるだろう・・・・

 

 

 

 外見よりも機能的な服装髪型をするひとは内気なひとに多い、逆に派手で見た目にこだわるひとは外向的なひとに多い。

アニメやアイドル関連以外のイベントやライブといったものに、内向的なひとはあまり好んで来ない。

 

 

 鳶職や塗装業に太った人は見たことがない。足場の耐久性や安全面の問題だろうか?

省庁の職員はある程度の身長がある普通体型のひとが多い。通勤時間帯にどの人を見ても似たり寄ったり。年配の職員も白髪か薄毛めがねの定番のおっさんといった感じがほとんどである。

 

 

見た目による格差、区分けは確実に存在する。もしかすると差別もあるかも知れない。

私は見た目も中身もどこにも分類することができない浮いた存在らしい。ふつうのひととはなんだろう?『どうか自分はふつうでありたい』よくよく考えてみればこの願いこそがすでにまともではない確たる証拠ではないだろうか?

 

今週のお題「わたしのインターネット歴」

今週のお題「わたしのインターネット歴」

 インターネット回線をはじめて引いたのが2012年の10月くらいでした。

以前の記事でも書きましたがかなり遅い方だと思います。ブログやホームページの区別がつかず、スマホでやっているのはインターネット?ではないと思っておりました。

そしてブログというものをはじめて知ったのが2016年の9月でした。

 

 

 それ以前にもパソコンは所有しておりましたが恥ずかしい話、無線LANも無い時代にパソコンは電源を入れれば勝手にインターネットに繋がるものだと思って、今、世界とつながっているんだという変な優越感がありました。

2010年まで疑いもせずにどことも繋がっていないウィンドウズ98をいじくっていたことになります。つながっていたのはウィンドウズ98ではなく、私の頭がお空のお花畑と繋がっていたんですよ。