呆丈記

呆れたものがたり

ぶっ飛ぶ勇気は垣根を壊す

 同類相求むがごとし、馬が合いこころ通じて意気投合。似通うものたちが集い馴れ合い親しむ。枠から外れひとりなやみ彷徨うもどこにも属せず今に至る。

 

 

 なぜ同じような種類の似通った人が自然とつるむのか?似通った体形、顔立ち、服装にいたるのか?似通った服装にはあこがれなどで元になった人物がいるのだろうか?

不思議でしょうがない。

 

 仲間を集い競技用自転車でツーリングは実にうらやましい。彼らは男女問わず皆、背が高く痩せて手足が長い。お揃いのウェアを着て尖ったヘルメット、虹色のサングラス実にかっこいい。もし私が混じって自転車に乗ったら、三角木馬に跨る肉団子が疾走し注目の的となるだろう・・・・

 

 

 

 外見よりも機能的な服装髪型をするひとは内気なひとに多い、逆に派手で見た目にこだわるひとは外向的なひとに多い。

アニメやアイドル関連以外のイベントやライブといったものに、内向的なひとはあまり好んで来ない。

 

 

 鳶職や塗装業に太った人は見たことがない。足場の耐久性や安全面の問題だろうか?

省庁の職員はある程度の身長がある普通体型のひとが多い。通勤時間帯にどの人を見ても似たり寄ったり。年配の職員も白髪か薄毛めがねの定番のおっさんといった感じがほとんどである。

 

 

見た目による格差、区分けは確実に存在する。もしかすると差別もあるかも知れない。

私は見た目も中身もどこにも分類することができない浮いた存在らしい。ふつうのひととはなんだろう?『どうか自分はふつうでありたい』よくよく考えてみればこの願いこそがすでにまともではない確たる証拠ではないだろうか?