呆丈記

呆れたものがたり

うまうましかしか

 【若いうちの苦労は買ってでもしろ】と教わったのでその通りにしてきましたが、

今現在はこのありさまです。正直者が馬鹿を見る典型的な例です。

 苦労を強引に押し売りして出世した数々のサイコパス達、不祥事で営業所閉鎖になり解雇となった幹部4人が、わずか2年足らずで再就職先の会社で所長や取締役に就任できたのは驚きもしませんでした。しかも内の2名は四十代後半です。

もちろん、この4名は苦労も努力もしたでしょう。ただし圧倒的に量が少なく尚且つ出世への最短ルートを行っただけです。

実力があり何でもこなす、頭脳明晰でやたらと頭がいい、おもしろく人気がある、スポーツ万能でカッコよくてモテる、が共通点でした。

 私は正直者が馬鹿をみたのではなく、自分が馬鹿なので馬鹿が馬鹿を見ただけのふつうのことだったんですね。

 

天上天下唯我独 損 10月第2週

 

 生きていれば厄日と呼ばれる散々な日も当然あります。『なんで俺ばっかり!』『あたしなんか悪いことした?』と嘆いてしまっても仕方ない日は誰にでもあるのです。

 でも憎いあいつは、今日も笑顔でのうのうと生きている。

お気持ちも察しますが、人の不幸を願う代償は自分のしあわせです。『天上天下唯我独 損』で気分を紛らわしていただければ幸いです。

続きを読む

今週のお題「お弁当」

今週のお題「お弁当」

 先日、チェーン系列のお弁当屋さんに昼飯を買いに行った。前に並んでいた営業マンらしき人が、『ごはん』のみを注文した。自分はおにぎりを持っていたため『おかず』のみ注文した。営業マンは『ごはん』のみのためか早々と受取り店を後した。

自分の『おかず』が数分後にできあがり、車に乗ろうとしたら隣の駐車枠にふりかけらしきカスが散らばっている。

 天気もよかったので近くの大きな公園で食べることにした。ベンチに向かうと結構距離をおいて向い側のベンチに、さっきの営業マンの姿があった。

営業マンは割りばしを割り、白米を食べだした。おそらくさっき散らばっていた『ふりかけ』らしきものは、彼が開封に失敗して散らばったものかもしれないな~なんて考えていたら、自分の持参したおにぎりが腐っていた。

仕方なく『おかず』のみを食べる事となった。白い飯が食いたいなー、おかずが欲しいな~とお互いに思っていたに違いない、そんな中しげみから仔猫が現れて白飯を食らう営業マンをじっと見つめている。次第に歩み寄っていった。

心優しき営業マンはそっと白飯を仔猫に分け与える、しかしこれをカラスが見逃さなかった。

カラスはこちらの『おかず』にも気付きやってきた。

 営業マンと私は二つのベンチに群がるカラスと猫を残し公園をあとにした・・・・

 

 

不健康診断

 そういえば昨日は会社の健康診断がありました。週初めに検尿を入れるスティック?と、検便を入れる紫のふたのスティック?が2本、問診票と検尿の紙コップの計5点を紙袋のようなものに入れて渡されました。前日の金曜日に「明日は健康診断だから忘れんなよ!あさ7:30からだぞ!今晩は22:30を過ぎたら物は喰ったらだめだぞ!」と念を押されました。

続きを読む

図書館は今日は混んでいた。

 悪い頭を鍛えるべく、定期的に図書館に行ってます。いつもはガラガラに空いている図書館も、読書の秋のためか駐車場がほぼ埋まっています。読書に来たはずの図書館の駐車場になぜか走り屋の車が並んでいる。アフターアイドリング中なのか、乗ってきた人と思わしき人物は見当たらない。ババババーと館内の受付カウンター付近までマフラー音が聞こえる・・・

館内は混雑しており、座れそうな椅子もあまりなさそうだ。普段来ない人であろう赤子を抱っこして、スマホでぺちゃくちゃしながら絵本を吟味する母親、机で向かい愛、勉強そっちのけで必死に口説く小太り男子学生。カメラ雑誌のヌード特集バックナンバー7月号の奪い合いを繰り広げるじいさんたち。トイレの個室からはまさかの菓子パンの袋を開ける音と飲み物を飲んでるであろう様子がうかがえます。

まさに読書の飽き状態でした。

 

呆丈記~呆れたものがたり 一周年記念ごあいさつ

 いつもご覧いただき誠にありがとうございます。【呆丈記~あきれたものがたり】は9月24日をもちまして一周年を迎えることができました。これも熱心に楽しみにされている読者様、ならびにブログを管理・提供されている【はてなブログ】様に深く感謝いたします。

 人は一日二十四時間のなかで『仕事』『家庭・生活』『睡眠』といった必ず外すことのできない、又は優先しないといけない【時】が存在します。

たとえ数秒でもそのような貴重な【時】を当局のためにご提供されている優しきこころに支えられこれからも生きてゆこうと思います。

 

   

大人になったら友人と知人は少なければ少ないほどよい

 何年も音信不通の人から突然の連絡は、ろくなことではないのは周知のとおり。

宗教であったり投資ばなしであったりと、何かとお金の影がちらつくものである。

今回『大人になったら友人と知人は少なければ少ないほどよい』と改めて気付かされた一件でした。

続きを読む