呆丈記

呆れたものがたり

大人になったら友人と知人は少なければ少ないほどよい

 何年も音信不通の人から突然の連絡は、ろくなことではないのは周知のとおり。

宗教であったり投資ばなしであったりと、何かとお金の影がちらつくものである。

今回『大人になったら友人と知人は少なければ少ないほどよい』と改めて気付かされた一件でした。

  連絡を取り合っている幼なじみってどのくらいいますか?

 子どもの頃から友達で、社会人になっても連絡を取り合ったりの付き合いがある友人ってもちろん人にもよりますが、そんなに多くないです。

高校・大学のときの友人の方が社会に出てからも、付き合いが続くことが多いですね。

 最近の若者は情報機器の発達のせいで、卒業後も嫌いな先輩や友人との交遊関係が切れないと悩んでいました。これも便利の副作用のひとつではないでしょうか。

就職して上京しても、盆や正月に帰省した際は『あいさつせいや』と何かと会いたがるのは、ただ単に寂しがりやなだけだと思うのですが。

 

職場や仕事上知り合った人との連絡先交換は慎重に!

人間は今まで養ってきた知識や経験からしかものごとを認識できません。なので社会人経験の浅い若い人や時代背景の違う昭和~バブル経験世代の社会人の方々とは、考え方がちがうのは当然です。職場での仕事上で、業務の遂行と並ぶくらい重要なのが『人間関係』です。いくら仕事ができても、職場の人との人間関係が悪ければ長く働けないことになりかねません。これはどの世代にも大体共通する考え方のひとつです。そのためか連絡先の交換を断ることがなかなかできません。交換の目的が業務上の連絡手段などの明確なものでない場合、社交辞令や若い世代に多い取りあえず『ライン登録しよう』的な感覚でしょう。それ以外の目的で連絡先を交換したい理由といえば冒頭で述べたこと以外ないはずですよ。

 
自分の悪い癖やだらしなさが功を奏した

 私の悪い癖は以前の記事に書いたこともありますが、電話を持ち歩かないこと。過去に幾度となく紛失したため持ち歩きません。あとスマートフォンではないためラインの登録をあきらめられる事もあり連絡がつきづらいので人との距離感が生まれているようです。これは意図的にやっていることではなく、だらしない性格が功を奏したと言えましょう。本当に用のある人は直接家に来るようになってしまい申し訳ないところもある。しかしこの連絡が取りづらい状況で、通勤帰宅路に5年ぶりを偶然を装った女性に待ち伏せされ半ば強引に家に遊びに来るように促され、家に行くとお約束のように暴力団風の男がいて契約させられたこともありました。

 

タイトルと矛盾しますが・・・

 最後にタイトルと記事の内容に矛盾するようですが、伝えたかった事は友人知人は信用できる自分に合った人物であれば多くてもよいということ、個人情報となると管理にうるさくて漏えいなんてすれば大問題なくせに、同じ職場にいるというだけで簡単に番号やラインを交換してしまう安易な行動に警鐘を鳴らしたいということです。