呆丈記

呆れたものがたり

的は撃ち抜かれる

世間の注目を集め関心が向けば、比較的金銭を稼ぐことへの難易度が低くなる。

 

いい意味でも悪い意味でも広く知られる事と言う事は、それぞれ利益、不利益が生じる。

 

名声を馳せるために、非日常的な事や迷惑なことまでとにかくやり尽くす。

 

 

 

テレビ出演などは局側の出演依頼や芸能事務所の『力』が重要となってくる。

 

一方で動画投稿サイトなどは、面白い企画内容や撮影技術、編集能力や出演者の『容姿』が重要となってくる。

 

私は結局のところ、テレビの視聴率も動画再生回数も出演している人の性格による高感度や安心感次第だと思う。

 

 

どんなに面白い企画内容でもよいカメラマンでも優れた編集でも、『クソ野郎』が映っていただけで私は見たくはない。

 

 

視聴者は表向きは『おもしろいものが見たい』と言うが、実際のところは【安心】や【好感】を優先しているのではないだろうか?

 

 

毎週○曜日の〇時に〇〇が出ている動画や番組を観ると言う習慣に安心や好感がついてきているのではないか?

 

 

たとえ番組内容や動画の企画が面白くなかろうと、習慣づいてしまっているため視聴し満足する。

 

 

よって『クソ野郎』の書いている【呆丈記】は見るに値しない。

クソおっさんによる、クソの企画内容、クソの文章、で最近の閲覧数は皆無。