呆丈記

呆れたものがたり

無形文化罪

 形の無いものは触れる機会がないと廃れる。試食がきっかけで、はじめて知る味もある。聞こえてくる音に合わせる鼻うた、流れる映像にうばわれるこころ、関心のはじまりはいつも小さく些細なことからはじまる。

試供品に金まで払い接する敷居は、天より高し。

 

 最近アニメ、まんが等の無料視聴サイトの取り締まりのニュースが流れていました。

アニメ、まんがは日本の文化として海外からも注目されて、それがきっかけで日本を訪れる人も多いですね。私はアニメ、まんがはそんなに見ない方なのですが、日本国内としては何となくこれから廃れていくのでは?という気がしてなりません。

 

 そもそも海外のアニメファンの人たちは、どうして日本のアニメを好きになったのでしょうとなると、国内のテレビで放映されていたか、インターネットの無料視聴動画を見てるうちにのめり込んだ。の主にこの2つのいずれかが多いのではないでしょうか?

 

 音楽も著作権が厳しくなり、街で流れているのをあまり聞かなくなりました。私は音楽に全く興味がないので、まずここで触れる機会が減りました。

 

 

 テレビにあまり出演しない芸能人、歌手の人も必ずしも引退したわけではありません。ただ目にする機会がなくなっただけで、やはりそう思ってしまいます。

ものまねタレントのコロッケさんのネタに出てくる人も、画面で見かけなくなった人がほとんどですがコロッケさんがものまねすることにより、存在が出て人々の記憶に残ります。

 

 著作権はもちろん大事です。他人のふんどしで相撲を取るのは言語道断!これがまかり通れば音楽、アニメのみならず、娯楽をつくろうとする人がいなくなります。

しかし触れる機会は文化存続のためにも、何か残しておかないと廃れます。

『きょうはこれらの曲は無料でながしていいよ』とか『アニメの日だから好きなの見ていいよ』とかなければ新たに興味を持つ人はどんどんいなくなりそうな気がします。

 

さいごに

 例えばこの【呆丈記~呆れたものがたり】が閲覧有料となった場合だれが見ますか?

当然だれも見ないでしょう。娯楽はよくできた宗教のようなものです。

ファンという名の信者がお金をもたらしてくれます。そしてお金と言うもののためにだけ欲を注げば、ファンが見えなくなりいつの間にかいなくなる・・・・

おかしなひとがおかしなことを綴る【呆丈記】をこれからもどうかごひいきに・・・・・・