感情の起伏の激しい人は厄介ですね。へらへら笑っていたかと思えば、いきなり怒り出して大爆発!する人。死んでしまうんじゃないかと心配するくらい落ち込んでいたと思いきや、なにかいいことでもあったのか、にこにこしながらおごってくれたりする人とまあいそがしいものだ。
犬や猫を飼っていらっしゃる人はご存知かと思いますが、その個体の性格にもよりますけどその日その日の気分や機嫌があり、やることなすことが結構人間臭いところがありますね。
哺乳類、鳥類、魚類にまで感情があるようなのですがどう思っているんでしょうね・・・
例えばいつも食べているお肉、牛や豚にも当然感情があったということになるわけです。そして当然自分たちが食肉になることもわかっていた。
そうなると、どのような心境だったのでしょう・・・・
訴える目
以前、同級生が保健所に就職したことがありました。動物が大嫌いな性格を買われて、犬猫の殺処分の助手にと採用されました。
彼の仕事は直接に殺処分に関わるものではなく、注射を打つ際に抑えたり、野犬の確保を手伝ったり、殺処分した動物の死体の搬送といったものだった。
しかし彼はわずか1年足らずで、保健所を退職しました。
退職理由を『だってあいつ等感情があるんだぜ、自分の死が近づいていることがわかる。あの目で訴えかけてくるんだ』とこう述べていたのが印象的でした。
本当の立ち入り禁止
うちの近所に呪われた土地と呼ばれている更地があります。なぜそう呼ばれているのか不思議に思っておりました。更地になる前は普通にガソリンスタンドが営業していたし、その前も室内ゴルフ練習場がありました。最初は貸衣裳の店でした。
お年寄りの話によると、そこにはかつて豚の屠殺場があったらしく、その後に建ったお店はことごとくダメになる。居住用の建物にしてもほとんど空き部屋で埋まらない、最後のガソリンスタンドが廃業して以来ずっと更地のまんまになっている。
周囲が繁栄していろいろな店舗が立ち並ぶ中、そこだけどこか暗い印象が拭えず不自然な更地が広がっている。それが関係あるのか偶然なのかはわからない。
植物の感情
花や野菜を育てるのがとても上手な人がいますね。私はちゃんと水や肥料をやっているにも係わらず、小さかったり枯れてしまったりとうまくいかない。
上手な人を見ていると共通することが、植物に愛情を持って接していることでした。
私は植物を物としか捉えておらず、日光、肥料、水分があれば必ず花が咲くと思っていましたが、愛情も重要な肥やしなのだなと気づかされました。
一番いい例が盆栽だと思うのです。あれは木の事が大好きで、常に手入れしてかわいがり手塩にかけて育てるから見事な形に仕上がるのです。
まとめ
私たちは動物、植物などの命を食べて生きています。食品を無駄にすることは即ち、命を無駄にすることと同じです。改めて【いただきます】の真意を再確認する良いきっかけになったでしょうか?
アニメ忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんが、ごはんを残すと例え先生であろうと『お残しは許しまへんで!』と烈火のごとく怒ることはこのような背景があるのかも知れませんね。
食べ物を無駄にしてしまった時は思い出してほしい、無駄になった命のことと、どのような思いで食べ物になったいきものたちのきもちを・・・・