呆丈記

呆れたものがたり

明晰夢芝居~第七幕 祟りの日

 現実でも本来の業務とは別に『企業』としての印象をあげるため海岸の清掃が年に2回ほどある。

 

今回の『夢』はその一環を表現したものだろうが・・・・

 

夢の中の話であり実際の事実とは異なる描写が含まれます。

 

 

 海岸清掃当日、現地集合で開始は午前10時半~1時間半の間、ゴミ拾いをして正午からは弁当を食べて解散といった流れだった。

 

 

市役所の職員と私の職場の人、ボランティアの約30名ほどがすでに集まっていた。

 

私は水色のごみ袋と軍手を受け取ったら、なるべく後ろの方に隠れた。

 

ゴミ拾いが始まると『発泡スチロール』の大きな塊のような軽くて大きいものを好んで袋に入れては、分別が面倒では無くて同じく軽いペットボトルを中心に集めた。

 

 

1時間半は思ったより長く、参加者の多少の疲労がうかがい知れた頃やっと集合の合図があった。

 

 

 

 

『市役所本庁舎』にもどりお弁当を受け取ってください。と少し離れた市役所の建物へと参加者一同は向かった。

 

市役所の建物は一般的なものとは異なり、今どきの新築住宅を巨大にした感じで玄関で靴を脱いで入るスタイルで本格的なアットホーム感を演出したかったのだろうか?

 

 

弁当を受け取り『会議室』へ向うと、すでに事務員のおばさん数名がお弁当を広げていた。

 

そのうちの一人がテレビのリモコンを手のひらでパンパンと叩きながら電源の赤いボタンを連打していた。

 

それを見ていたもう一人の事務員が『貸して!電池ないんでしょ?』と言って手を差し伸べて、電池を一回取り出してその電池を凝視してまた入れ直した。

 

 

『意味無いじゃない?笑』

 

 

周囲から笑いが漏れるも、リモコンを画面に向けて電源ボタンを押すと一発で電源が入った。

 

 

『ほらね、私の魔法だわ』

 

 

再び笑いに溢れると箸を持ちなおし、今度は弁当のおかずのケチり具合に文句を言い始めた。

 

 

テレビはワイドショーのような番組がやっていた。

 

 

『今年は戦後100年の節目でありますが、節目に起こる戦後の災いは今も続いています。』

 

テレビではやたらと『節目』を強調するのが気になった。

 

 

ひとりの事務員が『この話題はちょっと』と言って、弁当を持って会議室から出て行った。

 

他の残った人たちは不思議がっていた。

 

 

CMが明けて番組が再開すると、事務員の退室が気になったのか残った一同はワイドショーの内容に釘付けとなった。

 

 

実は広島・長崎の次になぜか『富山県』に原爆を投下する計画があったらしい

(実際はそんなことはありません)

 

原爆投下予定の日に生まれた『慎之介くん』という赤ん坊を生贄に捧げることで大惨事を直前で回避した。’(生贄はアメリカ軍では無く天の神に捧げられたらしい)

 

 

慎之介くんの祟りにより父親、当時の市長、生贄を行った祈祷師が死亡し戦後の平和式典に来た米軍関係者が死亡した。

 

節目節目に慎之介くんの呪いが発動して関係者などが死ぬ。数百名単位で死亡

 

そして今回が節目の100年目と言う内容のワイドショーだった。

 

 

これを観た一同は失笑して『どんだけしつこいねん慎之介くん執念深いわ』と突っ込みで爆笑となった。

 

 

 

ピンポンパンポ~ン

 

 

『生贄となった慎之介くんを追悼して富山県の方角に向かって黙祷します。本庁舎内にいる人は全員屋上へと上がってください』とアナウンスが流れると、さっきまで爆笑していた一同は、『本気かよ!』と突っ込まざるおえなかった。

 

 

屋上に出た後もニヤニヤお祭り騒ぎの人がほとんだだった。

 

 

ごごごごづdヴばーごんしかし慎之介くんの怒りが爆発したのか、元々曇り空だった天から稲妻が一筋現れて鉄塔に落雷し、轟音と共に鉄塔は倒壊した。

 

 

 

 

これに驚いて私は目が覚めてしまった。