若いころに何らかの実績が無ければ、その後の発展性は無い。
秀でた実力、恵まれた才能を持ち合わせない者に残された道は、あきらめない地道な努力の上に築きられた永年の月日である。
ゆえに継続は力であり、雨垂れは石をも穿つ。1
しかし間違った努力は何の【糧】にもならず。
『できないことはがんばるな!』は極端かもしれないが、自分の特性を知った上での進むべき道を間違わずに選択することが大事である。
世間一般的に『遅咲き』はせいぜい三十代を指すことがほとんどである。
四十代になってからの開花はほぼ無いと言っていいだろう。
だからと言って本当にそれでいいのかね?
私は永遠の眠りに就く間際に『本当はこんなことやってみたかったな』なんて思いたくはない。
あらゆる事にいろいろ挑戦してみて、それでも駄目だったなら諦めもつく。
しかし極わずかでも『可能性』を残すと、『もしあの時こうしていれば、成功していたかもしれない』なんて思っても、すでに手遅れなのだ。
だからやりたいことを、ありとあらゆることをやってみる。
私のは遅咲きどころか、種のまんま腐っている。
このまま終わるならいっその事、最期は爆発してみようと思う。
きたない花火でもいい。
それで地上に出れたのなら本望だよ。