『安物買いの銭失い』、『質より量』、懐の寂しい時に陥りやすい現象。
貧乏思考は負の志向へと向かい、地獄の連鎖は破綻するまで永遠に廻る。
ねたみ、僻み、恨みを生み出しては、それらに自らおぼれ死ぬ。
最近気づいたのですが、ある食料品店のプライベートブランドの格安の即席麺や格安レトルトカレーがいつ行っても売り切れているのです。
『売り切れるほどおいしいのかな?』なんて思い、一度買って食べてみようと思ってはみたものの、売り切れ御免状態。
食べた事があるかを知り合いに聞いてみたら、『喰わん方がええよ』との返答が返ってきた。
即席麺33円、レトルトカレー54円に確かに味には期待はしていなかったが、もしかしたら価格のわりにはマシなのかも知れないなんて思ってしまったのです。
食料品以外だとホームセンターのプライベートブランド商品の『柔軟剤』がいつも品切れ状態です。
これも価格が一般メーカーよりひときわ安く、商品の外装も味気もクソの無い地味なもので『やさしい柔軟剤』とだけ書かれています。
一度使ってみようと思うのですが、こちらも品薄状態・・・・
もしかしたらこれらの格安商品は、昨今増え続ける貧困層をターゲットにしているのでしょうか?
私も以前、働いていた工場が倒産してローンを抱えたまま仕事も見つからず、失業手当すら加入されておらず、死にそうになったことがあります。
その際にとにかく『安い物』と正直言って価格しか見ておりませんでした。
『安ければ安いほどよい』の思考になっていました。
2005年に話題となった『年収300万円時代を生き抜く経済学』(著者:森永卓郎)ところが地方では、この『300万円』にすら届かないのが現実です。
戦後の復興期、日本国民は非常に貧しかった。
あたり前ですがインフラも整備されてないし、家電製品なんてものも揃ってはいないし生活水準は令和になった今よりずっと低かったはずです。
でも今ほど【陰湿】ではなかったんじゃないでしょうか?
少なくとも【連帯感】や【情】といったものはあったはずです。
戦後の貧しさと現代の貧困の違いは、『貧乏が恥ずかしい』ことになったことではないでしょうか?
近隣関係者に貧しい事を悟られぬように、他と足並みを揃えついて行く。
舐められぬように、マウント取られないように。
普段着ている衣服とか車とかもそこそなものを用意するとなると、目に見えない他の部分にしわ寄せがどうしても来る。
節約の限界を超えて、消費者金融へと足を運ぶようになる。
これが母子家庭だと、母親は自分に関わる衣服や化粧品等を節約してでも子どもにかけなければならない。
ブランド品とまで行かなくても、学校へはそれなりに最低限の恰好で行かないと『いじめ』の対象になってしまったりします。
話題に付いていけなくなり村八分にならぬように、『ゲーム機』も一つくらい必要になります。
そうなると食料品の購入に詰まるようになってくるのではないでしょうか。
こうした層がプライベートブランドの購入者層だとしたら、私の興味本位や詮索も『マウント』にあたるのではないか・・・・
依然として高い貧困率、そしてますます差を広げる格差。
これらのことが意図して創られたのだとしたら、私も沙汰されるうちの一人に過ぎないのだ。