呆丈記

呆れたものがたり

コネコネ倶楽部

 【平等】とは基本的な原則であり、人間ひとりひとりが『人種』『性別』『社会的身分』において差別されてはならないという観念のもとにある。

 

格差の拡大が叫ばれる近年、この【平等】がゆがんだ形で大きく本来の意味を逸脱しようとしている。

 

 

 

 平等の根底を覆すような典型的な例が『コネ』による、入学や入社がある。

 

 

【1】本人の実力ではなく親や親戚の威光により入ったため不公平
【2】その人間が入ったため、貴重な枠が一つ失われ、有能な人材が失われた
【3】自分が入りたかった会社にやすやすと入ったところが腹立たしい
【4】公正な採用をすると思っていたのに裏切られた気持ちになった
【5】一生が安泰な状況を約束されたような立場をやすやすと手に入れたのが腹立たしい

 

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  私自身【コネ】はあまり良くはないとは思うが『あり』だと思う節がある。

それは公募している企業、学校などの人員の採用にあたるのは血の通った人間である以上、家族、身内、そして親しい友人知人が必ずしも存在するからに他ならない。

 

 

通っている血の色は何色かは別として意識のある以上、斡旋やひいきなどの事が有利に運ぶことはどうしても避けようもない仕方のないこととの考えからの『あり』と言う判断な事をご理解いただきたい。

 

 

 

学問のすゝめ 訳の引用

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」

 

 

 福沢諭吉先生は生まれながらの平等を主張しているのであって、勉強しないで貧乏や不幸となるのは当たり前の自業自得であるそうだ・・・

 

 

rice9999.hatenablog.com

格差の拡大が叫ばれる近年、この【平等】がゆがんだ形で大きく本来の意味を逸脱しようとしているのは、努力もせずに平等を主張し叫ぶ者が余りにも多いというところではないか?

 

『不平等だから自分もそれと同じ待遇にしろ!』や、『おまえら待遇良すぎ!俺らと同じ基準まで引き下げろ!』といった一種の感情論のようなものがほとんどではないだろうか・・・・・

 

 

 【コネ】も使い圧倒的に有利な条件の元、見事に散った私が言うのもなんですが、スヌーピーの名言どおり『配られたカードで勝負するしかないのさ』というところでしょうね・・・