平穏な日常が変わろうと呆丈記が変わることは決してない。電気が途絶えようと、希望が失われようと呆丈記は決して止まることもない。綴られ続ける駄文は乱れに乱れ暴れ狂う。
地上のひかりが失われ、より輝き映える夜空の星たちは【闇】を一層引き立てる。
そしてやがて【闇】は【孤独】を生み出す。災害時のヒトリノヨルはこの孤独の【独】に侵されてはいけない。
平成30年9月4日~5日早朝
台風21号の通過で市内のいたるところで小規模な被害が出る。
平成30年9月5日 深夜 (地震発生5時間前)
深夜営業のドラッグストアで、飲料や即席麺などを1万円分近く購入する作者が知人に目撃される。土曜日の休日出勤が決まっていたため、買い物を前倒しして購入したのが後々この知人やレジの店員さんに不気味がられるきっかけになった。
平成30年9月6日 午前3時7分 (地震発生)
早朝の午前3時7分に北海道胆振中東部を震源とする最大震度7の地震が発生する。
就寝中の作者は飛び起き、即座に室内の電灯を点けるも数十秒で停電となる。
この間、暗闇の中で脇腹に猫を抱え柱にしがみ付き、皿やコップの割れる音を聞きながら天に祈るしかなかった。
揺れが収まり窓の外を見ると、蛍のような小さな光がたくさん見えた。
そこには小さなライトを持った近所の住民たちが集まっていた。私はキャンプ用のライトを点けて飛散したガラスをかたずけていると、再び揺れはじめたので建物の外へ逃げた。
『明るくなるまで車の中で過ごそう』と決めてカーラジオを付けると、緊急地震速報が流れていた。被害の状況を聞いても何が起こっているのかよくわからなかった。
さらに余震の揺れは容赦なく煽り立てる、そしてついに日が昇る・・・絶望のあさが来た。
『会社に行こう!』とにかく誰かに会いたかったのだ。
午前8時15分
出勤のため車で会社へ向うもなぜか渋滞している。おかしいこんな田舎街で朝の通勤渋滞はほとんど起こらない。通りに近づいて信号機が点灯していないことに気づいた。もちろん警察の姿など無い。合間を見て合流するしかないのだ。こわいこわすぎる。
これはこれでさっきの地震と怖さの種類が違うものがある。停電はここまでおよんでいたのか・・・・
午前8時50分
会社に着くと、事務所の真ん中にキャンプ用のランタンライトが一つ置いてあり、みんなでそれを囲み本日の業務内容が告げられた。
地震当日の業務内容は、全ての営業車、貨物車のガソリンの確保だった。それぞれ社用車に乗り込み停電でも営業しているガソリンスタンドへ向った。
営業しているスタンドはほとんどが10リッターないし20リッターまでの販売制限がされていたが、そんなことよりも同じ会社の社用車がこの行列に混じっていると、迷惑行為になってしまうのではないかとハラハラした。
午後12時00分
本日の業務終了。みんなそれぞれ家の片づけや、食料の確保のため信号の機能していない街へ繰り出していった。私も自家用車の燃料を入れに行くも、直前で売り切れになりカラ戻りとなってしまった。
点灯していない信号、真っ暗なコンビニやスーパー、ひと気のない町内は、あかるいだけのよるそのものだった。
午後8時00分 (地震発生から約17時間)
くらやみの中たべるラーメンをぬるいコーラで流し込む。ラジオの雑音と共に揺れ出す余震に脅かされる。
まとめ
これが地震当日の状況です。私の地域では停電のみで、ガス、水道は使えたためよいほうでした。