呆丈記

呆れたものがたり

死偽の味

 

 

 創業60年、老舗丼屋の暖簾の最期は何とも虚しく燃えるゴミとしての役目を果たし、収集車で焼却場へと向かった。

長年あぐらをかかれ、かつての誇らしげに風になびき店名を轟かせた風格はそこには無く、それは乗り合いの霊柩車で火葬場へ向う襤褸雑巾かのようにも思えた。

 

 

 暖簾の店主は昔、それはそれは評判の腕利きの料理人だった。小さな田舎の港街の人々の舌を長きにわたり満たしてきた功績は、昼時の長い行列に表れていた。

 

店が軌道に乗り名店と認められてかなりの月日が流れた。小さな田舎街に突如大手飲食店グループのチェーン店がやってきたのを皮切りに、いろいろな飲食店グループのチェーン店が次々と押し寄せた。

 

 

 人々は目新しい低価格の飲食店などに流れ、不動の地位を誇った老舗丼屋への客足は徐々に遠退いていった。あれだけ賑わっていた昼時でも行列に並ぶことなく、尚且つ空席の目立つ店内に誰もが飲食業界の世代交代を悟った。

 

 

しかし不動の地位が揺らごうとも、店主の食材へのこだわりや手間ひま惜しまずかけた仕込みは、決して揺らぐことはなかった。

朝早くから自ら市場へ出向き、長年の経験や知識を活かした新鮮な厳選食材の仕入れ。

食材のうまさを極限まで引き出す下準備と長時間にもわたる手の込んだ仕込み。

これが功を奏しチェーン店の低価格の業務用冷凍食材の味に嫌気をさした人々が、丼屋の暖簾を再びくぐるようになり、再び行列の名店へと返り咲いた。

自然と商店街に出店していたチェーン店は、次第に数を減らしていった。

 

 

 そんな苦労もあってか、店主は脳梗塞で倒れ店は休業を余儀なくされた。

人々は店の再開を心待ちにする一方、それは店主の回復を待つほかなかった。

 

 ちょうどその頃、都会で働いていた店主の息子が定年退職し地元に帰ってきた。

長らく閉店していた丼屋は再開へのあゆみをはじめた。

 

老朽化していた店舗は改装し明るいおしゃれな雰囲気に早変わりし、再開への期待は高まって行った。店主の容体も少しづつ回復の兆しがみられ誰もが喜んだ。

 

新装開店の当日、店には行列ができていた。そこには歩けるまでに回復した初代店主の姿もあった。こうして二代目店主の息子へと味は受け継がれたのであった。

客は先代と遜色ない味に満足し安堵した。店先には暖簾がなびいていた。

 

 

 初代店主が亡くなって数年の月日が流れていた。先代店主がいた創業当時からの常連客達は違和感を感じはじめていた。これが息子である二代目店主の長期計画に最初に気づいた客であった。しかし創業当初からの常連客達も年齢的から徐々に姿を消し、初代店主の味を知る客はいなくなっていった。それと同時に計画は一気に加速した。

 

 

厳選された魚介類は業務用冷凍食材へと変わり、肉は国産から外国産へ、米は古米へと変わり、味の低下は素人目でもわかるほど落ちた。

悪評は噂となり瞬く間に小さな田舎へ知れ渡った。計画とは創業当時からの客がいなくなるころから、だんだんと食材の質とコストと評判を下げていく事であった。

 

 そしてある日、老舗となった丼屋は突如歴史に幕を閉じた。これも計画のうちだった。先代から引き継ぎ新装開店した時からすべては決められていた鮮やかな台本どうりの計画の最後は、店舗の売却で締めくくられた。

 

 すべては元大手飲食店グループ会社幹部の二代目店主による茶番猿芝居劇に期待していたのである。

 

こうして役目を終えた茶番猿芝居劇の小道具でもある暖簾は、用済みとなりためらいも無くゴミとして捨てられて集積場の一員となり焼却された。