呆丈記

呆れたものがたり

孤児の春

 ちょうどこの季節になると毎年思い出す・・・あの春の日。

今はどうしているだろう?あの日出会ったちいさなゆうしゃは、ひときわ幼くそして輝いていた。そのまなざしはとても強く迷いがなかった。

 

  ちょうど4年ほど前の春、仕事で児童養護施設に毎週行っていた。

施設はコンクリートの寮のような建物ではなく、大きな丸太小屋のような家で森の中にあり、近くには大きな川も流れ自然豊かな環境に15人ほどの子どもたちと大人数人が共同で生活をしていた。 

 

 

 さまざまな事情でここにやってきた子どもたちでしたが、みんな仲良くいつも楽しそうに遊んでいたのを思い出します。

ゲーム機やまんが本が無く、もちろんユーチューブを観る環境でもない子どもたちは、昔ながらの『くわがた捕り』や『川遊び』『チャンバラごっこ』などで毎日を過ごしていた。

 

私が訪れると質問責めに遭う事もしばしばあった。

  • 仕事って楽しいの?つらいの?
  • 働くことにおいてよかったことは?
  • どのくらい給料もらっているの?それで足りるの?
  • 結婚しないでひとりで寂しくないのか?

 

子どもたちの関心はやはり、早く大人になって働きたいということだった。それと同時に大人になってここを出ていくことへの不安というのも確かにあるようだった。

それは自立する年齢の18歳へ近づくにつれて不安の方が勝る傾向にあったと思う。

 

 

 ある日学校行事か何かあったらしく、施設には乳児と未就学児しかいなかったことがあった。昼寝の時間なのか施設内は静まり返っていて、義母のおばちゃんまで寝ていたのでメモを残して帰ることにした。

 

玄関の戸を静かに閉めて車に乗ろうとした際、玄関横のデッキから3~4才くらいの男の子が出てきた。『くるま気をつけてね』『ちゃんとうしろ見るんだよ』と言って手を振っていた。

私は『眠れないの?みんな寝てるよ』と言うと神妙な顔つきで眠れない訳を語りだした。

 

 

 その日の午前中に一緒に共同生活していたうちの一人の両親が施設を訪れ、少年は両親と共に飛行機で自分の家のある遠くの街に帰ったらしい。

まえの晩に誰の誕生日でもないのに、ごちそうが出たのもその少年がみんなとお別れする最後のよるだったからだと今になって気づいたようだった。

男の子の両親はどうやら津波?で亡くなったので、もう迎えには来ないらしい。

 

 

おとなになったら『自衛隊』になりたいと言っていたのも、今度は自分が自衛隊になって誰かの『おかあさん』『おとうさん』を探したいとの思いがあるのかも知れません。