呆丈記

呆れたものがたり

すゝめないすゝめ

 貧しければ貧しいほど、手の届かないものにあこがれる。

時より手の届きそうなところに現れる、まぼろしの高値の花に惑わされ

終には手を伸ばし奈落の底へと転落する。

 

  自分より明らかに収入が低いのに、高い車を買ったり家を建てたりしているのを見ると不思議でたまらないと同時に自分自身に不安になる。

 

あの人でもできたのに、自分はどこか無意識のうちに浪費しているのではないか?

本当は自分にも出来ることなのに、度胸がなくて臆病になっているのではないのか?

 

しかし無意識にしていたのは、浪費では無く『相手を下に見る』という腐った考えに他ならない。

 

人は自分の下を造ることにより実質的に上になっていったと同時に、下になった者も

勝手に下になっていく。

 

 

 学問のすゝめ 訳の引用

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」

 

 

 福沢諭吉先生は生まれながらの平等を主張しているのであって、勉強しないで貧乏や不幸となるのは当たり前の自業自得であるそうだ・・・

 

 

 

 貧しければ貧しいほど、手の届かないものにあこがれる。

時より手の届きそうなところに現れる、まぼろしの高値の花に惑わされ

終には手を伸ばし奈落の底へと転落する。

 

 自分が上の人間になったと錯覚し、いるはずもない下の者を覗きこみ

あるはずのない奈落の底へと転落する。