呆丈記

呆れたものがたり

明晰夢芝居

 夢の中で「これは夢だ!」と理解できて、自由に夢の内容を変えることができる事を【明晰夢】と呼ばれることを、なぜか多くの人が知っています。心理学用語?なのかわかりませんが、それだけ多くの人は【自由】に飢えているのだろうことが窺い知れます。

 

  もちろん私もこの明晰夢を見たことが何度かありますが、もしかしたら明晰夢ではない他の誰かの夢と共用されているのではないか?と思うこともありました。

明晰夢状態の自分が自由気ままに出来る一方で、誰かが通常睡眠時に見る固定された不自由な夢になるのではないのか?そう考えるようになりました。

 

現実社会もそうですが不自由と言うものは、物理的な拘束以外は自分以外の誰かに決められた形のない縛りであるわけです。

不自由を与えた方は、自由を得ることになります。(絶対ではないですが・・)

仕事に行って、自由が奪われて、体力、精神神経が奪われて、お金が与えられて、お金を使い自由を得る。

 

     覚えている明晰夢

 河川敷みたいなところを歩いていると、草野球の試合が行われていた。

距離があるので歩くのがめんどくさいため、飛んで行くことで明晰夢だと気づいた。

観客と混じって観戦していると、一台のダンプが乱入してきて選手や観客を次々と轢きだした。

空を飛んでやってきた数名のテロリストたちは、空からマシンガンを乱射して弾丸の雨を降らせた。こうして草野球は地獄絵図と化した。私は恐ろしくなり、テレポーテーションした。

 テレポーテーションした先は、露天風呂だった。ここでは男が女性を強姦していた。

自由なものはとことん自由で好き勝手放題だった。露天風呂客の女性がやってきて私に「これは夢なんだからあなたももっと好き勝手にやってもいいのよ。」と言ってきた。

すかさず「今はこれが現実だ!」と言い返したのを覚えている。

その後、説法みたいな感じなことを言っていたら、みんな真剣に聞きだしてどんどん人が集まってきたので、「もう起きる」と言って、タイムマシンの出口みたいな穴を作って中に入った。

 

 

    明晰夢は夢芝居

 

 明晰夢は確かに自由ではあるが、目覚めたときの虚しさや自由ではない現実へのストレスが一層増します。

もともと出来ないことや、やってはいけないことはやらないに越したことありません。一度でもやると癖になり、また麻薬のようなものでもあるです。

 

 冬場の手の乾燥のように、水に浸せば潤いを一時的に得ることができます。しかし、その後は水に浸す前以上に水分が奪われます。こころもこれと同じようなものなのではないでしょうか?