呆丈記

呆れたものがたり

呪いの祝詞

 昭和から平成に変わった最初の夏、人々は『平成』という実感もまだ薄い中バブルの好景気に酔いしれていた。

 

サイトウ(仮名)のばあさんも当時は50代前半のベテラン教員として小学校で大人子供関係なく指導にあたっていた。

 

 

 平成元年の夏休みは始まったばかり

学校が休みに入ってもサイトウ教諭のもとには多く児童が訪れる。

一学期終了から一週間の間は一学期の復習と宿題の質問に答える寺子屋のようなことをやっていた。

 

寺子屋はお昼前で終わり、サイトウ教諭は一人ひとり自宅まで送り届けて学校に戻り午後からは自分の仕事に取り掛かった。

 

うだるような暑さの中、蝉の鳴き声を聞きながら研修の準備に没頭すること数時間・・

気がつけばあたりは淡い橙色に染まっていた。

 

 

『サイトウ先生今日はもう上がりましょう』同僚の女性教諭が疲れた表情で促す。

 

『校内研修の準備がまだなのよ。遠慮しないで山中先生は先に上がって。』

 

どうしても午前中の寺子屋の時間が詰まってしまうのは仕方がないこと、そう自分に言い聞かせて残ることにした。

 

 

トゥルルルルル・・・・トゥルルルルル・・・・・

 

 

蝉の声がピタリと止んだように職員室には電話の呼び出し音が大きく鳴り響いた。

 

入口近くの男性教諭が受話器に手を伸ばしたが、サイトウ教諭は

『私が出ますよ』と言って電話機に向かった。なぜか自分にきた電話だと確信した。

 

 

『はい〇〇町立〇〇小学校です。』

 

しかし相手はこれに応答せず、テープのような『シー』といったノイズ?のような音がするだけだった。

 

『こちら〇〇小学校です。もしもし・・・・』

 

ところが電話はここで途切れた。受話器からは『プーップーップーッ』と切断が確認できた。

 

『切れちゃったんですか?』山中教諭にもその音は受話器越しに聞こえていたようだった。

 

 

その言葉にサイトウ教諭が頷いて受話器を置こうとしたところ、受話器から声らしきようなものが聞こえた。

 

『あれ?確かに今切れたよね?』

それは入り口近くで最初に受話器を取ろうとした男性教諭にも聞こえた。

 

三人は顔を見合せて唖然としたが、恐る恐るサイトウ教諭は戻しかけた受話器を再び耳元へ持って行った。その間も受話器からは声らしき音は絶え間なく聞こえていた。

 

 

『すみません。もう一度はじめからお願いできますでしょうか?』

 

 

電話の相手は了解したかのようにピタリと話すのをやめた。

 

十秒ほど沈黙したのち相手は再び再開した。しかしそれは途中からなのか、最初からなのかはわからない。

その一方でサイトウ教諭の顔色が一瞬にして青ざめたのは他の二人にはすぐにわかった。

 

 

目の前の山中教諭は受話器を無理やり奪い取るようにして、自分の耳に当てた。

が、しかし彼女もまた一瞬で顔が青ざめた。

 

 

それをまた男性教諭が奪い取り同じように耳に当てた。

『もしもしどちらさんですか?』

やはり男性教諭も数秒と持たずについには受話器を置いた。

 

 

 

静まり返る職員室内には再び蝉の鳴き声が響いていた。

 

 

電話の声はテープをスロー再生した男か女かわからないような声なのに早口でまるで倍速再生しているように速く、尚且つ何を言っているのか意味不明なのに不気味な内容であることだけはわかったそうだ。

 

 

 

あれから約30年

 

サイトウのばあさんは今になってあの電話は『呪いのことば』であったことを確信したようだった。

 

あの電話を聞いた後、一年以内に自分の妹と自分の息子をガンで亡くし、そして家が火事になると不幸が重なったらしい。(さらに3年後に再度火事に見舞われた。)

 

霊能者に相談した際にもともとあった霊能力を覚醒してもらい自身で対処したそうだ。

 

 

山内教諭は転勤後に自殺したと聞いたそうだ。

男性教諭(まやま?教諭)は娘さんが幼くしてがんで亡くなったとのこと。

 

 

 

サイトウのばあさんは呪い返しで不幸は止まったそうだが

 呪いをかけた相手はどうなったかは今となってはわからない。