呆丈記

呆れたものがたり

正論は感情を逆撫でる

  日本の国特有とも言ってもよい【本音と建て前】は諸外国にとっては、理解しがたい日本の文化のうちの一つではないか?

 

場の状況や雰囲気に合わせて遠まわしに本音を含むこれらの文化は日本人にとっても相当厄介であることは間違いない。

 

 

 正論を直球で述べてしまうと、感情論の集中砲火を浴びることになる。

【本音と建て前】と言う目張りをしなければ、正論も曲論と捉えられかねない状況に晒される。

 

『いじめは見て見ぬふりをして関わるな』と言えばたちまち感情論者たちの標的にされる。ことばの文字通りでは余りにも非情な印象だが、直接いじめをやめるように制止したり、反対に自身が標的にならないためにいじめの傍観者になるような行動を取らないという意味で言ってもそうは理解されない、もちろんいじめを目撃したら担任や親に事実を伝える義務もある。

 

感情論の人たちは医療の知識が全くない人が交通事故の現場に居合わせたからと言って、ケガ人に応急処置以上の医師並の処置を求めるようなものではないだろうか・・・・

 

この場合は必要最低限の応急処置を施し、救急へ連絡し病院に搬送することこそが最速で最適な対応なのではないか・・・・

 

 

 

『気に入らないものはみんなのチカラで排除しましょう』

⇒信号無視みんなで轢けば怖くないの精神が垣間見える。ひき逃げが毎日何百万件と日常茶飯事のように当たり前になれば、横断して轢かれる歩行者が悪いと言いだす輩が出てくる。どこかの国のように。

 

『くじらは知能の高い生き物だから捕って食べるのはかわいそう』

⇒しかし牛や豚、鶏は肉になるために生まれてきたから仕方ないという謎主張。

犬や猫はカワイイから食べるなんてもってのほからしい・・・・・

 

 

『人間でも頭の悪い貧乏な馬鹿は自業自得なので死んでよし』

 ⇒自分がたまたま恵まれた環境にいるだけで、人生のスタートラインは人によって違う事は自業自得ではない。

病気や障害で仕事が困難な人に、『ハンディキャップがあっても頑張っている人がいるのだから』と無茶苦茶な事を言う人の本音は、『つべこべ言わないで人並みに働けや!』なのは間違いない。

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 正論は感情を逆撫でる。

 

正論も感情論も本音と建前もどれも大事であるが結局はその時々における使い方が一番大事なのではないか・・・・・