人生朝露の如し、浮世は夢であり。歳を重ねることもまたすばらしいことで【死】より幸福である。
生い立ちが不幸な者にとって『生きる』ということはあまりにつらくて厳しい。
常に不安に苛まれ、孤独に安堵する毎日。
誰かの笑顔がこころを蝕み、誰かのしあわせがこころを貫く・・・・
じぶんのせかいをつくりとじこもる。たまに出てきてまたもどる。
そうしてこの世に少しづつ慣れてきた。
【生きる】という漢字は色々な読み方がある。
【生】
【音読み】セイ・ショウ
【訓読み】いきる・うまれる・おう・はえる・き・なま・いのち・うぶ・なる・あい
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【生】という字には色々な選択肢がある。
【死】
【音読み】シ
【訓読み】しぬ
【死】死という字には、ほぼ選択の余地が無い。
人生100歳まで生きたとしても、仮に一日6時間睡眠だとしたら、実質75年間しか生きていなかったことになる。これに労働時間拘束分が差し引かれると、さらに少なくなる。
その少ない生きていた間が、つらかったり、苦しかったり、悲しかったり、したら損ではないか?
いくら金に恵まれようと、社会的地位を得ようと、最終的にはどれだけ楽しい時間を過ごせたかが、最終的の真の意味での『勝ち組』にあたるのではないだろうか?
そして『呆丈記』的には、楽しい時間を一切無視してどれだけ『つらい時間』『苦しい時間』『悲しい時間』をいかにして排除するかがそれに近づく鍵となると考えている。
家族とでもひとりでも、結局は『平穏』に勝るしあわせは無いのではなかろうか・・・・