呆丈記

呆れたものがたり

アラウンド・デス

 人生朝露の如し、浮世は夢であり。歳を重ねることもまたすばらしいことで【死】より幸福である。

 

 生い立ちが不幸な者にとって『生きる』ということはあまりにつらくて厳しい。

常に不安に苛まれ、孤独に安堵する毎日。

 

 

誰かの笑顔がこころを蝕み、誰かのしあわせがこころを貫く・・・・

 

 

じぶんのせかいをつくりとじこもる。たまに出てきてまたもどる。

そうしてこの世に少しづつ慣れてきた。

 

【生きる】という漢字は色々な読み方がある。

 

【生】 

【音読み】セイ・ショウ

【訓読み】いきる・うまれる・おう・はえる・き・なま・いのち・うぶ・なる・あい

     ・・・・

 

www.kanjipedia.jp

【生】という字には色々な選択肢がある。

 

 

 

【死】

【音読み】シ

【訓読み】しぬ

 

 

www.kanjipedia.jp

 

 【死】死という字には、ほぼ選択の余地が無い。

 

 

人生100歳まで生きたとしても、仮に一日6時間睡眠だとしたら、実質75年間しか生きていなかったことになる。これに労働時間拘束分が差し引かれると、さらに少なくなる。

 

その少ない生きていた間が、つらかったり、苦しかったり、悲しかったり、したら損ではないか?

 

 

いくら金に恵まれようと、社会的地位を得ようと、最終的にはどれだけ楽しい時間を過ごせたかが、最終的の真の意味での『勝ち組』にあたるのではないだろうか?

 

 

そして『呆丈記』的には、楽しい時間を一切無視してどれだけ『つらい時間』『苦しい時間』『悲しい時間』をいかにして排除するかがそれに近づく鍵となると考えている。

 

 

 

 

家族とでもひとりでも、結局は『平穏』に勝るしあわせは無いのではなかろうか・・・・