呆丈記

呆れたものがたり

死亡遊戯

 この世に生を受け、天寿を全うしこの世を去るまでもの間にいくつもの笑いと涙がある。

それは誰かと共有したり、己の胸の内に秘めたりさまざまである。

 

ひとは身近な命にかかわる出来事にしばしば心が揺さぶられるのである。

よく思い出してほしい、自分の子供が生まれる前後の日の事を・・・・

よく思い出してほしい、自分の身近な人との最期の思い出を・・・・・

 

  カメラ付きスマートフォン普及で気軽に写真を撮り、ネット上に投稿できる現代。

簡単に投稿できる反面に投稿者数が多くなるにつれて当然見てもらうために競争が起こる。

そのためにはいろいろな工夫や個性が取り入れられる。ましてや閲覧者数が広告収入につながることによりそれはより一層加速させる。

 

 

 危険な場所で危険行為を行う写真や動画撮影も当然その一つにあたる。

まさにそれは命を危険にさらすチキンレースのようなもの・・・・・・

より危険により過激に!夢中のあまり死の一線を越えてしまう者が後を絶たない。

 

 

花は種から芽を出し、葉をつけながら大きく成長する。太陽の光を全身に浴びて水をたくさん吸収して光合成する。

そしてついにはきれいな花を咲かせる。それは人々の目を楽しませ、蜂に蜜を提供する。

 

花は次第にしおれて、終には朽ち果てる。次なる種へと託し役目を終える。

 

 

一瞬にして人生が突如終わってしまうかも知れない行為の記録に価値があるのだとしたら、天寿を全うしこの世を去るまでもの間に訪れるいくつもの笑いと涙にはどんな価値があるというのか・・・・・・

 

 

サビの途中で停止ボタンを押したかのように途絶える歌や、クライマックスで突然フィルムが切れて終わる映画。

 

 

それが意図して狙った演出の結末と言うのならば大いに評価に値するのかも知れない。