呆丈記

呆れたものがたり

価値価値山

 おかねにするために創られた価値は、『しあわせ』と『感動』をもたらす。

しかしそれもまた『まやかし』である。

無から創られる偽りに『こころ』を奪われて、差し出す代価の価値はそれをはるかに上回る。

 

目が覚めるのは、いつも全てを失った祭りのあと・・・・

 

 対価に見合わない商品やサービスは、まさに『詐欺』に等しい。

即効では効果のわかりずらいこれらのものは、なぜか?効果だけに『高価』な方がありがたがれて利用されることが多い。

 

これにもまた『根拠』は無い。

 

 

 『お涙ちょうだいいたします。』感動や同情の後には『徴収』が待っている。

自ら差し出す代価の価値はそれをはるかに上回る。

 

創られた感動で流すなみだは、金のにおいがする。

泣くのにも、笑うのにも金を払う時代がもうすでに来ている事に気づいている者はまだ少ない。

 

 

 他人の成功ばなしを有難がり、金まで払って聞く必要は全くない。

たとえまったく同じことをやったとしても、全ての条件を満たしたとしても、才能と実力と努力の上に成り立った『たまたま』なことがほとんどではないか?

 

他人の成功ばなしを聞くより誰も思いつかないことや、他の人がなかなかできないことの方が数倍も価値がある。

 

そしてその中には、『成功』というたまたまが混じっている。

自分で宝くじを創り、そして当選させるようなもの。他人が創ったものを当てるよりよっぽど簡単なことである。

 

 

 

おかねにするために創られた価値は、『しあわせ』と『感動』をもたらす。

 

目が覚めるのは、いつも全てを失った祭りのあと・・・・