呆丈記

呆れたものがたり

うつ苦しい日々よ

 生きる道を見失い救いを求める者に諭す者は、大抵は路頭に迷ったことがない者がほとんどである。

 知識、資格はあれどその立場にあらず、すべては前例でものごとを言う。

 

おぼれている者に『私はこのようにして助かった』ならともかく、『理論上こうすれば良いはずである』では前者の方が幾分かましである。

 

 

いずれにしろ他人など当てにならないものには変わりはない。

 

 

 みじめなこころの慰めは、他人を馬鹿にしたり見下したりして自分を癒してはいけない。いざ己が逆の立場になった時、その反動がよりおおきくなり己の下を必死に探し求める。

 

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 知識や社会的地位をひけらかし周囲に頭脳明晰を知らしめることに何の得も無い。

 

真に頭の良い者はその場の状況や場面に合わせた馬鹿に徹することが意図してできる。

 

次から次へと臨機応変に馬鹿に徹し続けられる頭の回転の速さは、知っている知識をひけらかすだけの事と比べてもはるかに難しい。