呆丈記

呆れたものがたり

死亡遊戯

 この世に生を受け、天寿を全うしこの世を去るまでもの間にいくつもの笑いと涙がある。

それは誰かと共有したり、己の胸の内に秘めたりさまざまである。

 

ひとは身近な命にかかわる出来事にしばしば心が揺さぶられるのである。

よく思い出してほしい、自分の子供が生まれる前後の日の事を・・・・

よく思い出してほしい、自分の身近な人との最期の思い出を・・・・・

 

  カメラ付きスマートフォン普及で気軽に写真を撮り、ネット上に投稿できる現代。

簡単に投稿できる反面に投稿者数が多くなるにつれて当然見てもらうために競争が起こる。

そのためにはいろいろな工夫や個性が取り入れられる。ましてや閲覧者数が広告収入につながることによりそれはより一層加速させる。

 

 

 危険な場所で危険行為を行う写真や動画撮影も当然その一つにあたる。

まさにそれは命を危険にさらすチキンレースのようなもの・・・・・・

より危険により過激に!夢中のあまり死の一線を越えてしまう者が後を絶たない。

 

 

花は種から芽を出し、葉をつけながら大きく成長する。太陽の光を全身に浴びて水をたくさん吸収して光合成する。

そしてついにはきれいな花を咲かせる。それは人々の目を楽しませ、蜂に蜜を提供する。

 

花は次第にしおれて、終には朽ち果てる。次なる種へと託し役目を終える。

 

 

一瞬にして人生が突如終わってしまうかも知れない行為の記録に価値があるのだとしたら、天寿を全うしこの世を去るまでもの間に訪れるいくつもの笑いと涙にはどんな価値があるというのか・・・・・・

 

 

サビの途中で停止ボタンを押したかのように途絶える歌や、クライマックスで突然フィルムが切れて終わる映画。

 

 

それが意図して狙った演出の結末と言うのならば大いに評価に値するのかも知れない。

 

 

 

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 気のせいかもしれませんが、バレンタインデーのイメージはもう30年以上も国生さゆりが独占しているような印象があります。

 

 私は仕事で田舎の高齢者宅を訪問するので、近年のバレンタインデーには『みかん』や『いも』をもらうことのほうがおおくなりました。

 

チョコレートだと、私が糖尿病になりそうだからだそうです。

 

意外にも若いイケメン風のお兄ちゃんも、だいたいおばちゃんからしかもらった事がないそうで驚きました。

 

田舎だから若い女性の数が少ないというのもあると思うのですが・・・・・・・・

 

 

だからと言うか『愛の誓いの日』なんてもっぱら無縁さんです。

一歩間違えば『愛の間違いの日』になりかねない可能性の方が高い。

 

ただでさえ中高年のリンフーが盛んな小さな街ですから、私が若手扱いされるくらい年齢層が高いんですよ。

今週のお題「わたしの節分」

今週のお題「わたしの節分」

 幼稚園の時の豆まきが恐ろしかった。こどもだったからとかそのような類のものではないのですよ。普通は豆をまいたら鬼は逃げていくものですが、鬼が本気で反撃してくるんですよ。最初は本当に馬鹿にしていたんですよ、『近所のおじいちゃんたちがどうせ鬼やるんだろ?』って、いい顔して写真写っておけばいいんだよって思っていた。

 

 

 いざ引き戸が勢いよく『バーーン!』と開け放たれ、3匹の鬼が『うおーーーー』で唸った。スーパーで貰って来た鬼のお面に、赤、青、黒のジャージに運動会の時のビブスを付けて、こども用のプラスチック製のバットのお粗末な出で立ちに幼い僕たちは声を出して笑った。

 

鬼の背中に落花生をぶつけると、振り向き仁王立ちした後にプラスチック製のバットをフルスイングしてきた。空を切った風が頬にあたると、本気で叩きに来ている事がこどもながらにもわかった。

 

 尻を思いっきりフルスイングで叩かれて泣きわめく声が響き渡ると、さっきまでの笑顔は皆消えて青ざめていくのがわかった。

 

鬼は怒鳴りながらバットで床を激しく叩きながら迫ってくる、豆だけではなくマスごと投げつけたり、こっちもおもちゃのバットを持ってきたり応戦した。

トイレの個室に隠れた子を必要以上に戸をガンガンバットで叩く黒いジャージ鬼にバケツをぶつけてやった。

 

 私も赤い鬼に思いっきり手の甲をバットで叩かれた。近くにあった木の積み木を投げつけて応戦したりした。

 

『泣け!叫べ!喚け!そして死ね!』の鬼本来の基本行動を忠実に守る3匹。

 

 

しかし突如聞こえてきたサイレン音に鬼はなぜか、一目散に逃げて行った。

 

 

どうやら階段から落ちてけがをした子が出て、救急車が呼ばれたようだ。

担架に乗せられて運ばれる園児、こんな状況に至るまで何も知らず職員室で談笑していた教諭と園長先生たち・・・・・・

 

 

 

今思えば昭和っておそろしいですね。

 


まめまき Bean scattering 絵本唱歌

今週のお題「冬の体調管理」

今週のお題「冬の体調管理」

 インフルエンザの対策といえば、外出前の予防のための【マスク】と外から帰ったら【うがい】【手洗い】が基本なのですが私の場合はちょっと違います。

 

まずは外出の際は【マスク】は一切しません。そして普通の人よりちょっと【薄着】でうがいはのどを潤す程度の水を口に含み2~3回でおしまい、手は水をかける程度に留める。そしてその手でおにぎりを食べる。

 

もちろんその後は石鹸で手を洗います。

順番がおかしい?と思った方、『なるほど』と思った方と別れると思いますが私の冬の体調管理方法は、少量のバイ菌を体内にわざと取り込みそして免疫を付けることです。

 

 

私の師が体調不良とは無縁の人で不衛生な人です。意図して実践していたかと言うとそうではない部分もあるかも知れません。

 

師匠の理屈

  1. 【マスク】周りのみんながマスクしていればする意味がない。そもそもあれは病気の奴がするものなのでしなくてよい。本当にやばい奴は家か病院で寝てるだろ?                                                                        
  2. 【うがい】のどの乾燥の方が深刻、口の中やのどに菌があるんだったらもうとっくに飲み込んじゃってるんでない?                                                         
  3. 【薄着】たばこ、酒を買いに行くだけなのにわざわざ服を選んでいる時間がもったいない。外が寒いから急ぐため外気を吸い込む時間がそれだけ短くなる。寒いけれど急いで走ることによって血行がよくなり体温が下がらないし、代謝が良くなる。(真偽は定かではない)                                                               
  4. 【バイ菌の取り込み】ワクチンも病気から造っているんだからどっちみち同じこと。AだかBだかいっぱい種類あるんだったら、いったい予防接種にいくらかかるんだ? 摂取しても別のには感染するんだったら博打と同じじゃないか!だったらバイ菌取り込むのも博打でおんなじこと、しかもタダだしな。                                              
  5. 【人混み】師匠は不衛生なので周りの人たちが避けていくため、距離が自然ととられているようにも感じます。これはたぶん本人は気づいていないでしょう。  

 

 

 

みなさん実践の際にはお気を付けください。

 

 

 

裏救世主

  拝金主義の今の日本で、金のない者が何を説いても全く説得力は無い。

なぜ人々は自らの考えで判断することを拒んでしまったのか?、一部の影響力のある者が神と称されその者の発言や発想が天からの正しい導きだと信じてやまない。

 

 

 火災時に非常口が複数あるにもかかわらず一番最初に開いた扉に群がり逃げ遅れる。

信じる者が必ず救われるというのであれば、救いを求める者が存在することに矛盾する。そして救いを求める者がなぜ信じないかを考える者はなぜか少ない。

 

 

 みんなが群がる甘い汁には裏があることがしばしばある。アリコロリに群がるアリの中には、巣に持ち帰ることへ反対して食べないように説得する者がいたとしても、これを止めさせるだけの説得力は実際に惨事にならないと難しい。

仮にわずかなリスクに怯え懐疑主義に徹してしまうと、一時的な現状は保てるが自身の進歩や周囲の発展が鈍りジリ貧になる。

しかしこのような状況下で成功者と崇められる神たちは地獄を恐れず飛び込み大成を成し遂げた。

 

 

検挙されるのを恐れて先頭を走らないファミリーカーの横を、バンバンぶち抜くスポーツカーや高級車。変な安心感に駆られあとに続けば、待っているのは悲惨な事故か検挙な事が多い。石橋を叩いて脆くしてから渡る典型的な例だろう。

 

決まりや常識を守らない者が大成功を収める割合が多いのは、大きなリスクを承知で抱えているか、あるいはそのことを知らなかったことによるたまたまの大当たりか・・・

 

川の上流から流れてくる大きな桃を、なんのためらいも無く家に持ち帰ったおばあさんも一歩間違えばゴイアニアの悪夢のようになっていたでしょう。

 

 

 しかし一番良くないのは成功者が、さも一切の努力なくして楽して大金をせしめたかのように思われている人が多いことである。

 

才能がある人はいかに効率よく少ない努力で目標に到達するかを考えるが、無能な者はいかに楽して目的を成し遂げるかという事しか頭にない。

 

 

拝金主義の今の日本で、金のない者が何を説いても全く説得力は無い。

 

 

よって誰も見ない呆丈記は説得力がない。

才能の無い作者は金も無いし魅力も無い。

 

これは満場一致で異議無し。

 

 

 

 

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉」

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

何かをはじめるにあたっては必ずきっかけがあるものです。それは『おもしろそうだから』や『アフリエイトで儲けたい』でもいいんですよ。

 

でもだんだん見てくれる人が多くなるにつれて、そうもいかなくなります。

むこうは真剣に見に来てくれれば、真剣に執筆しなければ失礼にあたる。

たのしみに見に来てくれるなら、それに応えられるように努力する必要があります。

 

そして最後に『ブログ初心者に贈る言葉』ってお題なもので相当上から目線になってしまい申し訳ありません。

 

初心者の人でも伝えるのがうまい人もいらっしゃいますからね。

婚活の無期限活動休止を受けて

 婚活をしていた同級生から活動休止宣言があった。

こんなの前代未聞で聞いたことがない。結婚相談所の登録も解除したようで事実上の終活に向かっての歩みともとれる。

 

 彼は見た目も私と似たり寄ったりで、収入もどっこいどっこいである。

要はお互いカッコ悪いびんぼうなんだよね。

いらない残り物を詰めた福袋のような我々が破格でも売れる要素は微塵もないのだ。

 

 

 『せめて年収でも高ければ・・・』彼はそう言うが、自分以外の魅力(お金目当て)に惹かれてきた来たお嫁さんを生涯愛せますか?その魅力が輝きを失った時は容赦なく捨てられますぞ。と少々どぎつい正論を述べると一瞬静まり返った後、ふたりで落胆した。

 

 

我々はこういう運命だったのです。不景気や就職超氷河期も相まって、普通の人生を歩めなかった地味なオタク青年は幼稚なおっさんへと進化した。

 

 

『たのしい孤独死考えてくれよ』彼は私にそう笑顔で問いかけると思わず大爆笑した。

 

真冬の昼下がりにお天道さまもニッコリあたたかくのふたりの背中に日差しを送ってくれた。

 

 

あとがき

 

この日本にはこのような境遇の人間で溢れかえっています。

多くの人がそれぞれ闇を抱え、孤独や不安を胸にひっそりと生きています。

 

 

 つらくて苦しい毎日は、多くの人が共有していることなのです。

朝起きて『また嫌な一日が始まる』と思っても、全く同じことを思っている者が同じ時間帯に大勢存在しているのです。

 

それは即ちひとりだけではないということ。

 

少なくとも呆丈記の読者の方々には、抜け駆けして【犯罪】に及んだり【自殺】で命を落とすようなことはあってほしくないのです。